リレーコラム/その6「「良寛型インタープリテーション再考」

高田研 都留文科大学/日本インタープリテーション協会監事

『自然解説指導者養成用テキスト』という財団法人国立公園協会が環境庁の委託を受けて平成5年に出した報告書が手元にある。川嶋直、古瀬浩史、故小林毅氏等も執筆している懐かしいインタープリテーションのテキストである。
その中で、日本の秀でたインタープリターの一人として、私は妙高高原の故根津和育氏(1917〜2001)のことを紹介している。根津氏は終戦前の1943年に東京から疎開し、そのまま妙高にとどまった。1983年妙高高原ビジターセンターの設立に参画。開設後はパークボランティアとして活躍。有志によってビジターセンター入口には彼の功績を称えた記念碑が建てられた。彼から学んだインタープリターも多い。
あれから25年。 四半世紀の時を超えてもう一度彼の自然解説について振り返って見たい。

8月、夏休みの妙高高原国設キャンプ場。白く長く伸ばした髭の爺さんが小さな子供たちと若い親に囲まれてその日のガイドウオークが始まった。

写真1 妙高高原国設キャンプ場にて根津和育1993.8

「皆さんどこから来られましたか?そう東京、福井。皆さんがいつも接している環境と違うものをこれから観て行きましょう。名前を覚えると右から左に抜けて行っちゃうから、今日はここにポツンと落ちていた、そんなものを観て欲しいの。空き缶だって構わないの。いつもここは綺麗に掃除してあるから空き缶があれば何かここで起こったなって思うわけ。今朝はかわいいキノコが出ていましたよ。ウンコだって落ちているかもしれませんよ。」

パークセンターを開設したころ、観察会に参加していた子供達はノートを持ち、夏休みの宿題にしようとメモをとる子が多かった。それが 1990年ごろには無くなって、自然観察を楽しめるようになったという。日本人の文化のなかで学びと遊びを二元論で捉える文化が溶解し始めていることを根津は感じていた。

自分の目で「違い」を探すこと。それは「空き缶」だっていい。落ちているコトが事件で、そのプロセスを探求することが今日の楽しみ方であるという。 問いかけに応えるように、ひとりの子供が道端の水路で巻貝を見つけて持って来て「ヤドカリ?」と小さな手を差し出す。

 「やあもう発見してくれたの。そう、おじいさんは名前を知らないんだけれど、この貝はだれかのご飯になるんだよ。ここに水があるからこの貝がいて、この貝がいるから、この貝を御飯にしている生き物がいるんだ。それはどんな生き物だろうね。」

彼のインタープリテーションの特徴は受容にある。なぜその子が持って来たのか、持って来たコト=プロセスを大切に受け入れる。足元の石ころを拾って差し出す幼児もいる。

 「いいものを見つけたねえ、ネズじいさんはこれを探してたんだ。」  

幼児はそのモノの価値ではなくネズじいさんに承認を受けたくてコトを起こした。その行為を受け入れることが、次のコトに繋がって行く。
持ってきた貝に対しては、生態系のつながりの中にあるという視座を提示し、「それはどんな生き物だろうね。」と次のコトに繋いで終わる。
当時私が所属していた自然保護団体で、観察の指南してくれないかと根津さんにお願いしたら、私のフィールドの事しか知らないのでと固辞された。自らのフィールドに対する知識の深さが、子どもたちが何を持って来ても次のコトに繋いでいくインタラクティブな会話を生み出している。
今度は子どもが蛾の幼虫を持って来た。

 「お母さん方、足は何本ありますか、…そう6本ね。…えっ?…子供たちはもっとあるって言っていますよ。ちゃんと学校で勉強をした人は6本って知っているのね。でも本物の幼虫を観た子供たちはそうは言わないでしょ。勉強も大切だけれどもよく観ることも大切だ。」

今度はメッセージが後ろで控え気味に見ていた子どもの親たちに向けられる。 観察会を通して親に対するメッセージがとても多い。ここでも再び観るというプロセス=コトの大切さを語る。

 「知識、知識と一生懸命になる。ついて来る親もそうだった。若いインタープリターを目指す人たちも技術や知識を偏重する。まずは子供と遊べる人になってほしい。自然は時間をかけて観なければ見えてこない。しかし実物から学んだことは確かな力になっていく。」

ここでも 学ぶ/遊ぶ を溶解したところに、力(知恵)が生まれることを語っている。

 この宮の森の木したに子どもらと遊ぶ春日は暮ずともよし  

新潟県燕市の郊外にある国上寺の五合庵に住んでいた曹洞宗の僧、良寛(1758〜1831)は59歳の時、近くにあった乙子神社の側に小さな草庵を結ぶ。そこで10年余暮らし、上のような有名な子供と遊ぶ歌をいくつも残している。
根津和育は 観察会の他、シーズンオフにノウサギの糞や木の枝を沢山集めて乾燥させ、夏のシーズンには都会から妙高高原訪れる子供達のために木工教室を毎日開いていた。実に楽しそうに子供達の世話をしていた。彼の生き方が良寛に重なって感じられる。故に良寛型インタープリテーションと私は名付けた。
当時小学1年生であった息子は家に帰って
「 僕ねえ、木のことや虫のことをいっぱい勉強して大きくなったらネズじいちゃんみたいになるねん。」
と言ったと報告書に記載している。しかし残念ながら現在は横浜在住のシティボーイ。ゴキブリも怖くて捕まえられない。

写真2 大学構内に作ったソロー小屋にて

私自身も良寛、根津翁の年齢に近づいて来た。現在は大学近くの森において、環境教育実習の授業で幼児等と遊んでいる。やってわかった事は純粋に遊ぶことの難しさ,奥深さである。フォーラムではその事について報告し、皆さんと考えてみたいと考えている。

参考文献  財団法人国立公園協会(1993)『自然解説指導者養成用テキスト』同協会 pp.25-27 唐木順三(1971)『日本詩人選20 良寛』筑摩書房 p.232